| 兵庫県文化賞 −書道家 劉 蒼居さん− |
平成14年度兵庫県文化賞受賞
書道家 劉 蒼居さん
字を書くということは人間修行の総称ですよ
昭和16年香川県生まれ。昭和35年に富士製鉄(現新日本製鉄)広畑製鉄所に就職。昭和40年には同社を退職し、木村知石氏に最年少で入門。
昭和40年第8回日展初出品し初入選。
以後入選18回。昭和52年日本書芸院展大賞受賞。
昭和56年、57年日展で特選を連続受賞。
平成9年半どんの会現代藝術賞受賞。
平成14年大阪府文化藝術功労者知事表彰。
現在も「玄心会」理事長をはじめ、日展評議員、日本書芸院副理事長、全国書美術振興会理事など、全国書壇の要職を歴任。書道芸術の振興に尽くされている。
姫路市在住。62歳。
劉蒼居さんが、書道の世界に足を踏み入れたのは、富士製鉄(現新日本製鉄)に就職した昭和三十五年のことでした。
「四国から出てきた私に上司が『酒や賭け事のような悪いことを覚えんうちに、趣味を持ったらどうや』と勧めてくれました。ちょうど職場に書道を教えている人がおられて、習いに行くことにしたんです」
少年時代に書道を習ったことがなかった蒼居さんですが、父親をはじめ親戚一同の字が上手と近所で評判の家系だったそうです。蒼居さん自身も字と絵には自信があり、学校で選ばれて大会に出ることも多かったとか。
「書を始めて、最初に感動したのは、墨の美しさでした。墨には、こんなにも色があるのか。かすれ、にじみ、墨の色の魅力にとりつかれてしまったんですよ」
あっというまに蒼居さんは、書の世界にのめりこんでいきました。五年後には製鉄所を退職。木村知石氏の直弟子となりました。
「木村先生は書道家というより、芸術家でした。厳しい師匠でしたが、私が最年少だったのでかわいがってもらい、兄弟子たちからはうらやましがられました。しかし、その頃の私はとにかく勉強、勉強で、書に体ごとぶつかっていきました。そりゃあ、真剣勝負でした」
練成会では一睡もせずに書に打ち込んだという蒼居さんの精進が実って、昭和四十年第八回日展に初出品で初入選を果たしました。以来入選十八回、昭和五十六年と五十七年には二年連続で日展特選を受け、書家としての地位を不動のものとしました。
「字を書くということは、人間修行みたいなものの総称だと思うのです。字を評価されるということは人間を評価されることと同じことです。書聖といわれる王羲之の書には、人間としてのとてつもないスケールの大きさがあり、それが見る人の心を感動させるのです。『人間』がまずあって、『書』がある。だからこそ『書は人なり』なのです。このような名人の書に憧れ、一生を過ごすことには少しの悔いもありません」
書の魔力に引きずり込まれ、寝ても覚めても書のことばかりと言ってはばかることのない蒼居さん。自分がこれほど夢中になる書の魅力を次の世代にどうしても伝えたいと願っています。
「自分のための勉強があるところまで到達したら、今度は人を育てることが楽しくなりました。私たちの師匠や先人が営々と築いた書道文化を廃れさせるわけにはいきません。私を夢中にさせる書の世界のすばらしさを若い人たちにぜひ伝えたい。しかし、地道な努力を厭う風潮もあって今の人にはそれがなかなか伝わらないもどかしさがあります。だからこそ、私も、若い人たちが目覚め憧れてくれるような作品を書けるよう努力しています」
蒼居さんは玄心会理事長、日本書芸院副理事長など書壇の要職を兼務し、またお弟子さんの指導にと全国を飛び回る多忙な毎日。
そんな中でも蒼居さんのごひいきスポーツマンはゴルフのタイガーウッズとヤンキースの松井選手。
「タイガーウッズも松井もメンタルな部分がすばらしい。クラブやバット一本で大勝負に挑む。筆を持つ身もそうならないといけないと思います」
蒼居さんの話は最後には必ず書道につながっていきました。
up date 2004/05/08
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